現在は比較的平和な毎日である。こんな時期こそ逆に疲れてしまう。肉体ではなく
仕事に追われないために生じる事務処理の優先順位に当惑し時間をいたずらに
浪費する駄目な自分が一気に噴出する疲労・嫌悪ゆえの単なる堕落なのだ。
この光景は毎年のように繰り返される。じっくりと勉強する時期なのに出来ない。
確かに余裕があるのだが、締切に追われる方が余程充実するのだ。つまり人間としては
何も出来ない無力さを露呈しているだけだ。自分が自分でなかったら、自分という自分を
主観的に判断すると「あいつ(=木村)は好き勝手に生きているのに計算と申告書作成しか
出来ない人間」と評価されても言い訳をするつもりはない。それは紛れもない事実だから。
ましてや日本人としての最低の常識やしきたり及び漢字の読みが恐ろしいくらいに衰えて
いる。(ゆとり教育世代でもないのに元来から無知なだけ)
話を変えるが昨年は人様・友人にほとんど会わなかった。締切が怖くて会えなかったと
書けば格好良いのだが現実は実力不足ゆえに執拗に時間をかけていたのである。
誤ってはいないのだが。会わないことに言及すると、以前友人が「仕事の付き合いなんて
冗談じゃあない。何で休みに会社の人間と・・ゴルフがその例だな」と話していたのを思い
出した。私には会社の知り合いなどいる訳がない。いつも喧嘩して辞めたからである。
解雇された方が正しいかもね。解雇にしよう。面倒だから。言い訳はしたくないからね。
しかしよく考えると、人間は自分を取り巻く看板で生きられるような部分もある。「何とか
会社」の何とかさんだから、上手くいく場合もある。だからそのような区別は寂しい。
同僚の奥さんと心底仲良くしても損ではないし退職すれば看板は外れるのだから、今
から会社の人間とも親しくすればもっと楽しい毎日のはずなのに結構残念な例を良聞く。
一生で仲良くなれる人間なんて大した数ではないのに。
何が言いたい文章でもないのだ。ここ一ヶ月で姫路市の同級生、徳島県の先輩、一家で
いらした明君、突然家に来てくれたさとう君、今日会って散歩した岩崎君など本来の僕の
付き合いが戻ってきたような気分で嬉しい。今日141君と名古屋ドームに行けなかった事は
申し訳ないが。。。辻堂太平台の直秋君も電話あり(=うるせえなあ。会ってやるよ・笑)
姫路の友人に言いました。「5年ぶりだね。自由に動けるのが80歳までで5年に1回なら
あと8回しか会えないぞ!つまり1回当りの会う時間が5時間なら、たった2日足らず。
大学時代にファミスタを続けて5時間やったのが10回で終わってしまう。だからもっと会おう。
兵庫くらいなら大した距離ではない。いつでも来てやるよ。」
彼も徳島の先輩も「テレビでアルフィーや箱根駅伝で茅ヶ崎海岸を通ると思い出してしまう」
そうです。そうですか。無口で存在感がなかったのに嬉しいですね。忘れられていないとわ
かると。
皆さんも会える人には会っておきましょうね。今のうちにね!
現在 Led zeppelinのThe Rain Song とStair Way to Heavenを聴いている。
あなたは現在人生のどのあたり?
矢沢永ちゃんのヘアトニックのcMでは「あんた 男の どこらへん?」