« 11(日)~17(土)の予定 | メイン | 素朴な疑問 »

残酷さ 法の実現は時を越えて

昨夜のNHKをご覧になった方も多いだろう。21時からの社会保険/保障の話だ。
慶大・金子教授も言っていたが保障を削るのはある最低限度までで、それ以下は
手厚くしなければ命自体が危ないことは明白だ。例えて言えば企業の経費節減は
大いに結構かもしれないが、例えば飲食店で合理化だといってコックさんを限界まで
減らせば営業自体が成り立たなくなるようなイメージだと解り易いと思う。

政府の財政が逼迫するので個人の保障を切り詰めましょうと言う理屈は誤りだ。
そもそも昨今の社会保障制度の極端な削減及び後期高齢者医療制度そして
地方の農業・公共事業へ致命的な改悪を作ったのは言うまでもない。あの変人首相
政権下だ。「聖域なき構造改革」の聖域とは、憲法で保証される個人の最低限度を
はるかに下回る分野の生活のことなのか?

昨夜の放送で、40歳の母親が病気がちで生活保護を打ち切られ、子供が定時制高校
中退まで追い込まれた話を聞いた。国の財政規模からいってもスズメの涙ほどでしょう。
例え目先の保証を削ったところで数兆円浮かせてどうするのでしょう。

改めてあの変態首相への怒りを覚えずにはいられない夜でした。あの総理の行った
見せかけの改革は、弱肉強食の弱者へ命の選択を迫ったことなのです。この言葉も
尊厳・倫理・最低線を守るから存在するのです。